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琵琶湖 湖北路の旅(8)<観音の里 高月> [近畿地区]

琵琶湖 湖北路の旅(終章)

<観音の里 高月>

長浜市高月の周辺には、観音菩薩を守る堂が50ヵ所ほど有ると言う

ここ奥琵琶湖は、姉川・賤ヶ岳・関ヶ原など歴史に残る合戦が行われた地域です

兵火を避け或いは燃え盛る炎の中から、村民たちが守り抜いた観音菩薩を

地域の人たちが無住の堂に大切に維持保存し、観音の里と呼ばれている

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記事が長くなりましたが、どうぞご覧ください

<旅行日:5月10日>

観音めぐり

今回の「琵琶湖湖北路の旅」で、最も行きたかったのは観音の里高月でした

旅行最終日、ワゴンタクシーを4時間の予定で契約し観音巡りをした

無住の観音堂は地域の人たちが交代で管理、予め拝観を電話で依頼する

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上の資料は、長浜市観光振興課の「長浜ガイド誌」をコピーさせて頂いた

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西野薬師観音堂

<薬師如来立像・十一面観音立像>

延暦年間(782~)、西野地区に天台宗泉明寺があり、伝教大師最澄が

薬師如来、十一面観音を納めたと伝わっている、その後度々の戦乱で荒廃

1504年の兵火で堂宇は焼失したが、仏像は村人が助け出し今日まで守っている

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<西野薬師観音堂は「無住の堂」・・電話で拝観を依頼>

堂守当番の方が堂の扉を開け待っておられ、私たちを厨子の正面に案内

仏像を安置した厨子の幕を開けると、十一面観音と薬師如来が目前に現れる

厳かな雰囲気のなか20分ほど説明して頂いた、6名の方が交代で当番をする

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<十一面観音菩薩立像(左) 薬師如来立像(右) 重要文化財>

 十一面観音は、右足を浮かし気味にして衆生教化の姿をし飾り物が少ない

薬師如来は薬壷を持たない珍しい姿である、頭頂分は焼けた後が残っている

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西野薬師堂で購入した「桑の木の箸」

十一面観音と薬師如来の名が刻まれている、早速使用しているが軽くて良い

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仏像の写真は購入した絵葉書のコピーです

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赤 後 寺

<千手観音立像・聖観音立像>

日吉神社の境内寺、本尊は千手観音立像と聖観音立像  重要文化財

2躯の仏像を安置した重厚な厨子は、彦根築城の総奉行木俣土佐守が寄贈した

日光陽明門の造営に関わった宮大工は、この厨子を参考にしたという

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<赤後寺も「無住の堂」・・電話で拝観依頼する>

災い転じて利となすという、転利(コロリ)観音と呼ばれ、三回参詣すれば

天寿を全うしコロリと極楽往生でき、安産、眼病にもご利益があるという

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<千手観音立像 重要文化財>

千手観音像(写真下)は腕先を失っている、姉川・賤ヶ岳の戦火を避けるため

村民が赤川に埋めて隠したが、氾濫のときに千手観音の腕は流され

そして顔はただれ、痛ましい姿をされていた (赤い丸と矢印)

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冷水寺も、拝観依頼(中央の坐像↑↑)をしたが当番の方の都合が悪く断念した

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渡岸寺観音堂(向源寺)

<国宝・十一面観音立像>

 天平8年(736)、都に流行した疱瘡を聖武天皇が泰澄に除災祈祷を命じた

泰澄は十一面観音を彫り、光眼寺を建立し息災延命の祈祷を行い憂いを絶った

後の延暦9年(790)、伝教大師最澄は勅を奉じて七堂伽藍を建立したという

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元亀元年(1570)、浅井・織田の姉川合戦のとき、堂宇はことごとく焼失したが

時の住職巧円と近隣の住民は、観音菩薩を土中に埋蔵して難を逃れたと言う

巧円は浄土真宗に改宗し向源寺を建立した、今は奥の白い慈雲閣に収蔵

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<最高傑作と評される・・「国宝十一面観音立像」>

日本全国に七体ある国宝十一面観音の中で最も美しいとされ、日本彫刻史上の

最高傑作といわれている、祈りの仏に相応しい慈愛に満ちた姿の観音様である

<男女どちらに見えるかと説明者に聞かれたが、私は女性の優しさを想像した>

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説明を受けたあと・・光背のない観音像を一周し拝観

檜材の一木彫(像高194cm)、右足の踵を少し上げ身体を左にひねっている

(この写真は、購入した写真と絵葉書のコピーです)

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 境内に「御尊像埋伏地の碑」が立っていた

住職巧円と住民たちが命がけで十一面観音など仏像を生めた場所という

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高月町国宝維持保存協賛会の理事が毎日交替で維持管理に当たっている

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最高傑作の十一面観音が、奈良・京都などの大寺院ではなく

奥琵琶湖の観音堂にあり、今も地元の人たちが守っている事は驚きである

<七体の内訳は、奈良3体・京都2体・大阪1体・滋賀(当寺)1体>

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石 道 寺

<十一面観音立像>

己高山麓にある真言宗豊山派の寺、元は三谷川沿いの山間にあり

平安から鎌倉時代にかけて己高山七大寺の一つとして栄えたが、そのご荒廃

明治29年に無住の寺となり、大正3年に本堂を現在地に移築した

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石道寺も「無住の堂」・・詰所がある 

紅葉の名所で知られる鶏足寺に近く、境内はモミジの新緑に覆われ美しい

右手の詰所には堂守の方が待機、観音堂に案内され説明を受けたが

山里のため後を継ぐ人を心配されていた、境内庭園の管理も担当すると謂う

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<十一面観音立像  重要文化財>

唇には紅をひとすじ残し、極彩色の仏像であったことが窺える

流れるような衣を身にまとい、首を少し傾け穏やかで優しい姿をしている

(脇侍に、四天王の持国天・多聞天立像を安置、共に重要文化財)

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井上靖の「星と祭」にも出てくると子授けの観音様として知られていると言う

(この写真は、ネットから拝借しました)

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鶏足寺・己高閣

<十一面観音立像>

己高山鶏足寺は、行基菩薩によって創建され、室町期には僧坊120宇を越え

湖北仏教の中核として隆盛を極めたが、地理的な悪条件から次第に衰退

現在では、礎石、石垣、参道などに往時の姿を留めるのみという

(山麓の与志濾神社地内に文化財収蔵庫「己高閣」を設け往時の仏像を保存)

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<十一面観音立像  重要文化財>

伝教大師最澄が、薄雪の跡に残る鳥の足跡を辿って行った先の池に

観音の御首を見つけたという伝説の観音像、異国的な風貌をしている

分かり難いが下の資料(青い丸)です、 詰所の方が案内してくれる

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己高閣収蔵庫の奥に、戸岩寺の仏像を収蔵した世代閣が有るが

ここでも、薬師如来立像、十二神将(三躯)など多くの仏像が収蔵されていた

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お ま け 

もう一度・・・渡源寺観音堂の十一面観音菩薩像

頭頂分に乗る小面は、前面(慈悲相)、左三面(瞋怒相)、右三面(狗牙上出相)

後一面(暴悪大笑相)、頂上(如来相)、十一面観音像の前後左右から拝観

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妻の姉妹たちから、観音の里の案内を喜ばれ

添乗員として面目を施すと共に、今回の旅を無事に締めくくる事ができた

観音の里、奥琵琶湖の紅葉(鶏足寺)とあわせて、もう一度行きたい所である

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この記事を作るに当たり、長浜ガイド誌、写真などをコピーさせて頂いた 

琵琶湖湖北の旅、終章までご覧頂き有難うございました

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琵琶湖 湖北路の旅(7)<北国街道木之本宿②> [近畿地区]

琵琶湖 湖北路の旅(7)

<北国街道 木之本宿(2)>

数年前、何かの資料を見て訪ねてみたかったのは北国街道の木之本宿

添乗員の役目から一時解放され、宿場町の一人歩きを楽しんだが

江戸・明治を偲ぶ庄屋や商家は有るものの、旅籠らしい建物が分からず

限られた時間での急ぎ散策、略満足であるが目的を果たす事はできた

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<旅行日:5月9日>

木之本宿散策

<木之本宿北側>

木之本宿は地蔵院を中心に南北約1kmの北国街道沿いの宿場町

江戸の風情を留める木之本宿を北から南へ散策した

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北国街道の石柱が立つ

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<山路酒造(左)>

今も、清酒、桑酒を醸造する、創業480年の老舗酒造店

清酒を土産に買いたかったが散策の途中で諦めた

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<木之本 牛馬市跡>

室町時代から昭和初期まで、毎年2回牛馬のセリがここで開かれた

山内一豊が、妻の蓄えた金子で名馬を買い求めた逸話は、この牛馬市である

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<元庄屋 上坂邸>

白塀土蔵風の2階には、うだつが設けられ庄屋の威厳を保っている

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<木之本宿 中央付近>

木之本地蔵院の門前から、木之本宿の北側を撮影

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<本陣薬局>

旧本陣で、当主は日本で第1号の薬剤師という

古い看板の中には、ばい毒などの薬のほかに浅田飴もある

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<きのもと交遊館>

宿場町に建つ洋風の建造物「旧滋賀銀行」(前回の記事でも紹介)

木之本宿が清酒、醤油の醸造などの産業や商業で栄えたことが伺える

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<木之本宿の家並み>

道路中央の帯状の箇所は、小川を埋めた跡と思われる

小川に沿いの並木も伐採、交通量が増え街道の風情を失っている

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<杉玉(酒林)>

酒屋の軒先に出された杉玉、新酒が出来ると新しい緑の杉玉に取り替える

昔は、運搬時の防腐剤として酒樽に入れたとも伝えられている

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<か め や>

店先には「てづくりのみせ」の暖簾、元は煙草屋であったようだ

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<醤油店 白木屋

道の両側に醤油づくりの店が三軒(岩根醤油点、ダイコウ醤油店)

木之本宿は、田上山の良質な地下水で、酒・醤油づくりが盛んになったという

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<岩根醤油店>

この店では、醤油を宅急便で積み出していた

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<北国街道と北国脇往還の分岐点>

木之本宿から名古屋・江戸方面へ向かう旅人が、中仙道の鳥居本宿を経ず

関が原、大垣へ向かう近道の「脇往還」、右は伊勢道「北国街道」

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この看板の背後(格子戸)には、各政党の選挙ポスターが貼ってある

ポスターを避け撮影したが、これは願い下げにして貰いたい

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<脇往還との交差点>

車の往来が多い北国街道の木之本宿、少し寂れた感じが拭えない

中央に小川を再現させ柳などを植樹、風情のある町づくりが再生の道と思うが?

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奥琵琶湖景観

<湖面の松林>

湖面に浮かぶ松林、その奥に見えるのは竹生島です

渇水期になると少し島が見えるそうだが、年間を通してほぼこの景色

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車の中から移動中に撮影

二つの写真は3日目の朝9時前の撮影、記事を纏める都合でここの掲載した

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次回は、琵琶湖湖北の旅(終章)<観音の里高月>を紹介します

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琵琶湖 湖北路の旅(6)<北国街道木之本宿> [近畿地区]

琵琶湖 湖北路の旅(6)

<北国街道 木之本宿>

妻の4姉妹たちを副添乗員さん(妻)に託して、私は北国街道の木之本宿へ

翌日、観音の里を巡ったあと木之本駅から帰路につく予定であるが

天気予報は曇り時々雨、また皆さんは宿場町の関心は低いため

私一人で先に散策し、木之本宿の見どころのみを翌日に案内することにした

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<旅行日:5月9日>

木之本駅~

駅前には、来年に放送するNHK大河ドラマの「黒田官兵衛」の旗幟

背後には、賤ヶ岳古戦場の大きな立て看板が見える

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<地蔵坂(石畳通り)> 

駅前から北国街道に向かって約5分、前方に見えるのは木之本地蔵院です

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地蔵院前から振り返り石畳の地蔵坂を撮影

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 木之本地蔵院

北国街道木之本宿は、地蔵院の門前町として栄えた宿場

賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉が地蔵院に本陣が置いたが戦火により焼失

豊臣秀頼の命を受けた片桐且元が再建、現在の本堂は宝暦年間の建立です

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<地蔵院本堂> 

正式名は長祈山浄信寺、本尊を地蔵菩薩(秘仏)とする時宗の寺院

一般には、木之本地蔵の名で呼ばれ親しまれている

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<境内の地蔵菩薩銅像> 

日本三大地蔵の一つとされる地蔵菩薩像は、秘仏本尊の写しである

眼病平癒のお地蔵様として信仰を集めていると聞く

私は網膜にポリープができ出血する加齢黄斑変成症、神妙にお参りをした

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<地蔵院の伝承>

天武天皇の時代(7世紀後半)、難波浦(大阪)に金光を放つ地蔵菩薩が漂着、金光寺を建立し祀ったが

より縁深き地に安置するため、聖武天皇の勅命を受けた奈良薬師寺の祚蓮上人が北国街道を下る途中

地蔵像を柳の木の下に降ろしたところ、そこから動かなくなったため、この地に安置し一寺を建立したという

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<御戒壇巡り>

31間(57m)の漆黒の闇の中を歩き、地蔵菩薩の手と結ばれている錠前に

触れる事ができる、長野善光寺の御戒壇巡りはよく知られている

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<日本一の地蔵菩薩銅像>

明治27年(1894)の建立、本尊の約3倍(高さ6m)の大きがある

第二次大戦中の供出命令には、住職や東条英機の妻勝子の嘆願で免れた

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<身代り蛙>

寺に棲むカエルが地蔵菩薩の願いにより、目を患った旅人に片目を与え

旅人は旅を続けられたという昔話が残っている、カエルの置物には片目がない

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<古眼鏡お納め処>

お参りに来た人たちが眼鏡を納めたようだ

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<阿弥陀堂>

地蔵院境内の右奥に阿弥陀堂が建つ、書院も置かれている

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「国宝阿弥陀如来」と刻んだ立派な石柱があるが

文化財保護法(昭和25年)の施工により、国宝から重要文化財に改められた

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翌日、妻の姉妹たちをここ木之本地蔵院へ案内した

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戦国大河きのもと館 

旧滋賀銀行の建物を改装した「きのもと交遊館」

ここは 『長浜・戦国大河ふるさと博』の賤ヶ岳・木之本エリアの会場

歴史に興味があり入館したが、ガイドさん(語りべ)と時間を忘れ話が弾む

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戦国時代、姉川の合戦、賤ヶ岳合戦が繰り広げられ、信長、秀吉、家康をはじめ

数々の戦国武将が駆け抜け、浅井長政、浅井三姉妹(茶々、初、江)

そして石田三成など、時代を動かした姫や武将たちが生まれた所である

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木之本は、柴田勝家と羽柴秀吉の賤ヶ岳合戦で、秀吉が本陣置いたところ

秀吉子飼いの武将たちが活躍した「賤ヶ岳七本槍」は知られている

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木之本駅のホームから撮った賤ヶ岳、西に約2kmです

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戦国時代を題材にした大河ドラマに度々登場する、ここ奥琵琶湖地区

来年は「軍師官兵衛」、当然この地域もドラマの舞台になるであろう

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次回は、琵琶湖湖北路の旅<北国街道木之本宿(2)>を紹介します

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琵琶湖 湖北路の旅(5)<長浜御坊大通寺> [近畿地区]

 琵琶湖 湖北路の旅(5)

<長浜御坊大通寺>

 長浜は、秀吉が拓いた城下町、北国街道の宿場町、そして大通寺の門前町

三つの顔を持つ歴史の町である、また市街地は碁盤の目になり歩き易い

皆さんは、気になる店を見つけると立ち寄るが、これも旅の楽しみの一つ

添乗員としては手持ち無沙汰だが、無事に長浜御坊大通寺に案内をした

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<旅行日:5月9日>

大通寺門前町

<ゆう壱番街(祝町通り)>

大手門通りから曳山博物館を挟んで一本北側の通り

黒塀ガラス館の周辺に比べ観光客は少ない、歩いてくるのは姉妹たちです

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旅の風情を感じる日本旅館「三谷旅館」、大通寺御用であろうか

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酢長荒物店で、姉と妹は帽子、妻は傘を買っていた

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<大通寺表参道>

ここは呉服店、民芸品店、乾物店などが並ぶ大通寺の門前町

石畳の参道の正面に見えるのは大通寺の山門です

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参道を進むと、大通寺の山門に着く

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門前まで来てこの店へ、彦根の町では興味を示さなかったが

妻の姉妹たちは、お婆ちゃんの原宿(巣鴨)のような店が良いようだ

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長浜御坊大通寺

総けやき造りの・・重厚な山門

真宗大谷派(東本願寺)の寺院、一般には「長浜御坊」と呼ばれている

本願寺12世の教如上人が、門徒に仏法を広めるための道場が始まりと言う

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玄関(手前)と本殿

伏見城の遺構と伝わる本堂、大広間、玄関は重要文化財に指定

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鐘楼から本堂

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本堂の外陣から山門を撮影

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本堂の内陣、本尊の阿弥陀如来像に参拝

皆さんは座して参拝(右前は妻)、浄土真宗の寺院は撮影を許される

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本堂から大広間へ、渡り廊下を通ると有料区域になる

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書院造りの大広間(重文)は、本堂と共に伏見城の遺構

極彩色で描かれた花鳥図(作者不明)は、桃山御殿の豪華な趣を伝えている

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書院(新御座)の障壁画・・狩野永岳の筆

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蘭亭の曲水宴図・・円山応挙の筆

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黒漆塗ビロード貼橘紋 女乗物

大老井伊直弼の七女(砂千代)が養女に入った時の乗物、後に住職と婚儀

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姉妹たちは大広間横の湯茶コーナーで話が弾み、中々外へ出てこない

どこから歩いて来たのか、年配の男性たちも山門の下でひと休み

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この日の予定は旅館に戻るのみ、副添乗員さん(妻)に後のことを頼み

私は歩きたかった、北国街道の木之本宿へ一人で行く事にした

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<長浜駅前 「秀吉、三成出逢の像」>

 石田三成は、この日の出逢いで秀吉に取りたてられ立身する

私は夕食時間(午後6時)までに戻る予定で、長浜駅から木之本へ出発

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妻は一旦旅館に戻ったあと、皆さんを長浜城の歴史資料館へ案内したそうだ

エスカレータで天守に上ると琵琶湖が美しい、私は2年前に行っている

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次回は、琵琶湖 湖北路の旅<北国街道・木之本宿>を紹介します

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琵琶湖 湖北路の旅(4)<黒壁の街 長浜> [近畿地区]

 琵琶湖 湖北路の旅(4)

<黒壁の街 長浜>

妻の4姉妹と従姉妹を案内する添乗員旅行、東京花だよりを途中に挟んだが 

元の奥琵琶湖旅行記に戻し、秀吉の城下町長浜、北国街道木之本宿

そして観音の里高月の記事を続けます、竹生島での石段の疲れを配慮し

長浜では、のんびり散策と買い物で過ごし、午後3時に旅館に戻る予定にした

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<旅行日:5月9日>

豊公園&長浜城

浅井長政攻めの功で、織田信長から浅井の旧領を与えられた羽柴秀吉は

今浜と呼ばれていたこの地に城を築き、信長の一字を拝領し長浜と改めた

そして、城下には楽市楽座を取り入れ、商業の町長浜の基礎を造ったと言う 

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宿泊した旅館「浜湖月」から、道路を一つ渡った所に長浜城と豊公園がある

現在の長浜城は昭和58年に再興、歴史資料館として使用している

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長浜近辺には、姉川、賤ヶ岳、関ヶ原など古戦場が多く

また、小谷城跡、安土城跡、佐和山城跡、彦根城なども近くにある

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奥琵琶湖の湖畔を早朝ひとり散歩(6時ごろ)

波が穏やかな早朝の琵琶湖、湖面を渡る風が心地よい

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太閤井戸跡、渇水時は近くまで行ける

長浜城築城の時に秀吉が掘らせた井戸跡、 往時を偲ぶ数少ない遺構の一つ

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順序は違うが、朝食後に竹生島(5月18日アップ)に向かった

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黒壁の街 長浜

<北国街道>

長浜は、北国街道と岐阜に通じる二つの街道が交わる交通の要衝

かつて多くの旅人や荷駄が往来した北国街道、その佇まいは今も残っている

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長浜の景観を代表する、黒壁の寺院

商家のように見えるが真宗大谷派の浄琳寺、太鼓楼が上に建っている

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洋風土蔵造りに黒漆喰壁の建物は、元第百三十銀行の長浜支店

黒壁銀行として親しまれていたが、今は「黒壁ガラス館」として甦っている

昭和末期解体の危機を市民の運動で免れ、黒壁を活かした街づくりが進んだ

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北国街道を少し北に向かうと、前方に二つの常夜灯

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常夜灯に近づき撮影、北国街道の幟が見える

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大手門通りから黒壁ガラス館を撮影、右は札の辻本舗(土産物など)

ここは北国街道と岐阜に通じる街道が交差する中心地、札の辻があった

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 妻の姉妹たちは、早速黒壁ガラス館で買い物

唐破風の歌舞伎看板は曳山博物館、長浜は曳山祭りで知られている

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文福茶屋・・生糸商の旧家を改装した甘味喫茶

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まちづくり役場・・元は金物店であったようだ

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皆さんは次々に店を覗いて歩く・・私は思案地蔵さんと・次の思案!

何と、義姉は湖北米が美味しいと家族へ宅急便

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長浜煎餅堂・・老若問わず人気があるようだ

皆さんがショッピング中に昼食の場所探し(軽食喫茶)・・添乗員は忙しい

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長浜曳山博物館(秀吉の時代から400年の歴史を伝える)

「豪華な山車(2基)」、「子ども歌舞伎」 「長浜曳山まつり」をシアターで観賞

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祝町通りの・・万屋のような店

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店先に下がっていた商品二つ・・珍しいので撮影

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この後も、皆さんは店を覗きながらのんびりムード、その記事は次回です

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長浜には、北陸線の始発駅として明治15年(1882)に建設した

現存する日本最古の駅舎がある、今は鉄道記念館(SLも展示)になっている

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次回は、琵琶湖湖北路の旅<長浜・大通寺>を紹介します

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琵琶湖 湖北路の旅(3)<竹生島> [近畿地区]

琵琶湖 湖北路の旅(3)

<神の棲む島・竹生島>

高齢の4姉妹たちを案内する添乗員旅行、2日目は竹生島と長浜市内の散策です

私は2年前に一人で同じコースを巡回しているが、皆さんは初めてのコース

なかでも竹生島への関心は高く、階段の上り下りは厳しいが私の発案に大賛成

疲れを配慮し余裕を持った時間設定で、午後3時に旅館に戻る計画で出発した

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<旅行日:5月9日>

竹生島クルーズ 

<長 浜 港>

旅館の車に送ってもらい朝9時発の観光船に乗船、乗客は約20名

この日も快晴に恵まれるなか、長浜港から竹生島へ向かった

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<竹生島へ>

船室からデッキへに出ると、湖面を渡る風は肌寒いが爽やで心地よい

前回は琵琶湖周航の歌が流れ郷愁を感じたが、今回は湖北の歴史PRに終始

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船の行く手に瓢箪の形をした竹生島の全景が見えてくる

波も穏やかな湖面、長浜港から30分で到着です

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竹 生 島 

<琵琶湖八景「深緑竹生島の沈影」>

島の名は「神の斎(いつく)住居(すまい)を意味し、その「つくすまい」が

「つくぶすま」と変じ、そして「竹生島」になったと言われている

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<弁天堂の石段>

船着場から165段の石段を登ると宝厳寺弁天堂

高齢者には厳しい階段だが、皆さんは頑張って登ってくれた

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振り返ると、このような急坂の石段です

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<宝厳寺弁天堂>

竹生島は神仏一体化した思想のなかで発展、当時は「弁天堂」「観音堂」

そして「都久夫須麻神社」などの堂塔を総称して、宝厳寺と言われていたが

明治初期の神仏分離令により、「宝厳寺」と「都久夫須麻神社」に分離された

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<本尊を祀る堂内>

本尊の弁才天は、江ノ島、厳島とともに日本三弁才天の一つ

弁才天は楽器と琵琶をもっており、湖上の道を守る神として信仰されている

財宝の神として「弁財天」を祀る神社もあるが、ここでは「弁才天」と表記する

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本尊のご開帳は60年ごと、あと23年・・随分先です

本堂両脇に置かれている弁才天、聞くと寄進を受けたものだと言う

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右の階段を登ると宝物館がある

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琵琶湖の湖面に向かって石段を下りると左に唐門がある

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<国宝 唐門>

唐門は、慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐旦元を普請奉行として

豊国廟の正門(極楽門)を移築した、国宝に指定されている

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唐門の奥には、西国33観音霊場30番札所の観音堂がある

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<舟 廊 下>

観音堂と都久夫須麻神社を結ぶ廊下、天井が船底の形状を留めている

豊臣秀吉の御座船日本丸を利用して造られた、重要文化財

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舟廊下を下から撮影、奥の建造物は観音堂です

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<国宝 都久夫須麻神社>

本殿は、唐門と同様に片桐旦元を普請奉行として伏見城の殿舎を移築

内部は豪華絢爛な桃山様式と聞くが非公開、大掛かりな改修工事中であった

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これは2年前に撮った・・・「都久夫須麻神社」の全景です

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<大 鳥 居>

拝殿下の岩場に建つ石造りの鳥居、周囲は「かわらけ投げ(小皿)」の破片で白い

素焼きの小皿に願い事と名を書き、投げた小皿が鳥居をくぐれば叶うと言う

皆さんにも投げて貰ったが私を含めて不成功、小皿2枚で300円でした

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 <琵琶湖周航の歌の碑>

第三高等学校(現京都大学)の寮歌として広く歌われた

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<長浜港へ>

竹生島の滞在時間は80分、長いようで短い時間でした

前方の山は「伊吹山」、左に見えるビル(長浜ロイヤルホテル)の前が長浜港です

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旅館の車で長浜市の散策ポイント入口(約1km)まで送迎、サービスが良い

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次回は「琵琶湖湖北路の旅」を中断し、野球観戦記を紹介します

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琵琶湖 湖北路の旅(2)<国宝 彦根城> [近畿地区]

琵琶湖 湖北路の旅(2)

<国宝 彦根城>

妻たち4姉妹のルーツは北近江、今回旅行する湖北路からは遠くない

しかし、不思議なことに彦根城、長浜市、竹生島は、皆さん未知に近い状態

彦根城を訪ねる機会は、今回が最後と言いながら頑張って歩いてくれた

宿泊は琵琶湖に面した長浜の温泉旅館、早い時間に着き疲れを癒して貰った

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<旅行日:5月8日>

 彦 根 城

 <表 門 橋>

玄宮園から、彦根城の内堀に沿って約400mほど歩くと表門橋

琵琶湖八景「月明 彦根の古城」の碑を見て表門に向かう

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<表門山道>

表門橋を渡ると彦根城博物館(旧表御殿)、左の石段を登り本丸へ向かう

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<廊 下 橋>

石段を登ると廊下橋、この橋は非常時には落とし橋になる

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廊下橋を下を通り、石垣に沿った階段(右)をさらに登る

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<天 秤 櫓>

廊下橋を渡ると天秤櫓、天秤のように左右一対に見えるのが名の由来

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<本丸への石段>

S字カーブを描くように曲がった石段の坂道、天秤櫓の下から撮影

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杖を突いて登ってくる姉妹たち、妻は中央のスカート姿です

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<太鼓門櫓>

石段の坂を登ると太鼓門櫓、登城合図用の太鼓が置かれていた

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太鼓の音が聞こえるように壁が無く、柱の間に高覧と廊下が付いている

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<国宝天守閣>

彦根城は、姫路城、松本城、犬山城とともに国宝に指定されている 

千鳥破風に唐破風の屋根を組み合わせた三階三重の天守閣

姫路城のように心柱がなく、柱の重心を内側に向け各層を積み上げている

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二人の姉は日陰で小休止、若手?4人は天守に登る

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<再び天秤櫓>

帰るころ(午後2時前)には観光客の姿が増えてきた、左の階段を下る

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<家族連れ> 

幼い子供たち3人が杖を突き登る姿が微笑ましい、復路のコースは左方向へ

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<大手山道>

こちらは、5人のお婆ちゃんたち、階段もこれが最後です

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<大手門橋>

内堀を渡り大手門橋を撮影、この辺りは桜が多く新緑が美しい

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彦根の城下町 

<京橋キャッスルロード> 

中堀に架かる京橋を渡ると、城下町を再現させたレトロな通り

慶長8年(1603年)彦根城築城とともに町割りがこの本町から始められたという

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 古くて新しい町

 城下町の伝統を継承した格子窓、袖壁、白壁、軒庇が続く町並みが続く

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翌日歩いた長浜の町に比べ、お婆さんたちの関心は少なく通り抜ける

高齢者ではなく若い人たちに受けるのであろうか

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旅館・浜湖月 

長浜駅に近いこの旅館「太閤温泉浜湖月」に連泊

料理は美味しく、従業員の挨拶、応対、サービスも良く一級の旅館でした

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琵琶湖に面した夕日が美しい旅館

女性部屋はトイレが二つ付いた広い部屋、露天風呂もあったが使用せず

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この部屋で、将棋の名人戦・棋聖戦・竜王戦が行われていた

色紙は、左から羽生善治竜王、森内俊之名人、佐藤康光棋聖、渡辺明竜王

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女性たちは午後10時ごろまで歓談、テレビを見ない私は9時前に就眠する

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次回は、琵琶湖湖北路の旅<竹生島>を紹介します

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琵琶湖 湖北路の旅(1)<彦根城玄宮園> [近畿地区]

琵琶湖 湖北路の旅(1)

<彦根城 玄宮園>

毎年続けている、妻の4姉妹を案内する添乗員旅行、今回は従姉妹も加わり

高齢のご婦人が5人、行先は2人の姉の希望をいれて「彦根、長浜、竹生島」へ

そして戦国の乱世から民衆が守り抜いた観音の里「高月」を巡ることにした

大型連休後の5月8日、彦根駅で待ち合わせをし2泊3日の旅行をスタートした

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<旅行日:5月8日>

彦根駅へ 

 <5月の富士山>

 旅の初日は快晴、旅の何よりものプレゼントは晴れた空、上々のスタートです

4月の京都旅行から約ひと月、富士山に残る雪も少なくなった

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<彦根駅改札前>

大阪・西宮から姉たちが3人、東京から妹と私たちが3人

彦根駅で待ち合わせ、昨年9月の立山黒部旅行から約半年振りの再開です

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<駅前お城通り>

通りの前方が彦根城、駅前の食堂で昼食をとり出発する

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彦 根 城

<いろは松>

表門橋に向かう中堀沿いの松並木、47本あったのでこの名が付けられた

現在は33本と少なくなっているが、眺めの良い通りである

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<埋 木 舎>

大老井伊直弼は、13代藩主井伊直中の十四男として誕生

自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え、埋木舎を名付けたこの館で過ごした

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開国を断行し攘夷を叫ぶ水戸浪士などに暗殺されたが

攘夷推進派の薩摩・長州藩は明治維新後に開国、歴史の皮肉である

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<佐和口から城内へ>

多門櫓の城郭を通り彦根城の城内へ

天守閣に向かう前に、寄り道をし大名庭園「玄宮園」に向かう

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名勝 玄宮園 

<東 口 門> 

玄宮園は、1684年に4代藩主井伊直興が造営した大名庭園

近江八景を模して作庭した池泉回遊式庭園、国の名勝庭園に指定されている

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<龍 臥 橋>

東門を入ると目前に魚躍池、龍臥橋と高橋(左)が見える

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 <新緑の園内>

正面は臨池閣、左隅に鳳翔台(茶亭)がある、龍臥橋から撮影

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5月8日の彦根はまさに新緑の季節です

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<天守閣と玄宮園>

天守閣を借景として取り入れている、ここは撮影ポイントのようです

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<楽々園 書院> 

楽々園は、玄宮園とともに4代藩主井伊直興が建立した彦根藩の下屋敷

入母屋造り杮葺きの書院、背後には複数の建物が並んでいる

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<地震の間>

日常は御茶座敷として使用されたが、地震の時には逃げ込むための部屋

基礎、建築様式な耐震構造になっているそうだ、右は楽々の間です

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<美しい築地塀>

石垣の上に白漆喰の土塀と板囲い、瓦屋根を乗せた形が実に美しい

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木の枝に鳥の巣があった

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<中 堀>

左は屋形船の乗船場所、桜の季節は混むであろうが、この日は開店休業の状態

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<花の生涯 記念碑>

大老井伊直弼の波乱に富んだ一生を描いた小説「花の生涯」(作者舟橋聖一)を

大河ドラマにした50年前の作品、今はこのドラマを知る人は少ない

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中央の石は、井伊直弼(尾上松緑・松本幸四郎、中村吉右ェ門の叔父)

左右の石は、長野主膳(佐田啓二・中井喜一の父)村山たか女(淡島千景) 括弧内は俳優

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次回は、琵琶湖湖北路の旅(2)<国宝彦根城>を紹介します

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